風の旅人 第43号

vol.43 2011年6月発行

定価 ¥1,200(税込)
全170ページ 30×23cm

 

 

 

 

空即是色

THE NATURE OF NATURE

 

このたびの巨大津波によって、多くの物が流され、多くの愛する人が奪われ、多くのかけがえのないものが失われました。

その悲しみ、やりきれなさは、今ここに生きている人間の、いのちの疼きとして、どくどくと身体の中に脈打っています。

そして、私たちの脈打つ血潮のなかには、愛する人から与えられたものや、先祖代々受け継がれてきた、かけがえのないものも多く含まれています。いろいろなものが破壊され、消えてなくなることで、そのことが、よりいっそう強く感じられるのです。

人間は、個であるかぎり、その営みは、はかないものです。
しかし、つながりの中で媒介者として存在できれば、永遠の生の一端を担うことができます。たとえ細くても強かな糸で、大切な人からつなげられたものを丁寧につないでいく。
亡くなった人達や、これから生まれてくる人達のことを想い、その間を行ったり来たりしながら、今を生きる。

人間が人間であるかぎり、多くの犠牲を生んだこのたびの震災から生と死に関する大切なものを学び、後の時代につなげていくことを
願うとともに、心に深く痛手を受けた人々が、蛹(さなぎ)のような冥い日々を終え、地の底から空に向って羽ばたける日が訪れることを祈っています。 

 

(風の旅人 編集長 佐伯剛)

【 表紙・裏表紙 】

表紙・裏表紙写真 / 新正卓

【 写真 】

  • 内なる聖地 ―インド巡礼

    photo & text / 井津建郎

  • 色とそら~あはひ~

    photo / 石元泰博

  • photo & text / 大西成明

  • 生の霊(いのち)

    photo & text / マスノマサヒロ

  • うつろひ

    photo & text / 志鎌猛

  • 傀儡師(くぐつし)

    photo & text / 内山英明

  • 秘する花

    photo & text / 水越武

  • 生々流転

    photo & text / 中藤毅彦

  • 洪水の後

    photo & text / 佐伯剛

【 文章 】

  • ガンジスの砂の数ほど

    text / 蛭川立

  • 思考の空白地帯

    text / 伊勢崎賢治

  • 世界に不協和の鳴り響く

    text / 田口ランディ photo / 中野正貴

  • 鞄と上着の置きどころ

    text / 望月通陽

  • ナーガルジュナと書かれた紙切れ

    text / 原広司

  • ヒトのあり方

    text / 小池博史

  • 大地に咲く白い花

    text / 皆川充

  • うぶすなのこえこだまする

    text / 山下智子

 

 

FIND the ROOT 彼岸と此岸

空即是色 THE NATURE OF NATURE

 近代社会は、全ての出来事を科学的に説明できるという前提で作られています。この社会において人間は、科学的思考を宇宙の果てまで広げ、科学的に説明できないものも、いずれ必ず説明できる筈だと考えて、探究を積み重ねていきます。

 一方、宇宙の根本原理や生命の秘密は、人智を超えた神の領分であるという立場の人もいます。科学技術が発達するとともに論理が複雑化し、新たな発見とともに論理的な矛盾が発生し、それを調整するという繰り返しのなかで、科学を批判し、神への傾倒を強める動きも一部にはあります。さらに、原爆や原子力発電などの科学技術が地球環境の危機となり、科学が神への冒涜であると主張する人もいます。
 しかしながら、現在、地球上には約70億人の人間が生きており、その多くが科学技術に依存した生活を営んでいるゆえ、急激に反科学的な社会に転換することは現実的ではありません。
 科学か、それとも神の力か、この世の現象は、この二つの思考によってしか捉えきれないものなのでしょうか。
 西洋哲学や科学は、神から離れ、自然それじたいの中に解答がある筈だという立場で、探究を行ってきました。
 しかしながら、現代、意識のことや生命の起源をはじめ物理世界を形作ってきた数学では解きにくい難題が残されています。また、宇宙の構造を説明する為の科学式は、最先端の科学技術による観測結果と矛盾が生じ、そのたびに数学的な微調整が繰り返されています。また、現在、日本のみならず世界中を不安に陥れている福島原発問題など、科学に対する不信が人々のなかに大きくなっています。

 今回の津波にかぎらず、自然は、人間の想定を超えたふるまいを示すことが度々あります。そのことを、「神の定め」の一言で片づけてしまわず、別の方法でとらえていくことが、今こそ必要なのでしょう。
 科学的思考というものは、世界の本質・原理を解き明かすための探究行為ですが、その探究行為のなかで、目的に沿ったものを重視し、そうでないものを軽視する傾向が強いように思われます。そうした目的志向の延長に、原爆の威力によって敵国を降伏させることを正当化したり、原発問題に関して都合の悪い情報を隠す等、健全とは言い難い行為がつながっています。
 また、「神の定め」という考え方も、自らが信じる神と、そうでないものを分けてしまい、どちらを重視するかといった頑固な信念対立を生んでしまいます。
 民主化という旗の下、ムバラク大統領を打倒したエジプトで、イスラム教徒とコプト教徒の対立が深刻化していますが、強権がなくなった後の宗教対立は、ソ連崩壊後のアルメニアやグルジア、そしてユーゴスラビアなどでも繰り返されてきたことでした。

 そもそも世界は、果たして、科学的目的主義のように予め作られた計画図をもとに、その完成に向っていくメカニズムによって成り立っているのでしょうか。それとも、神によって予め定められていると考えるしかないのでしょうか。
 もしかしたら、自然・宇宙には、全体を管理する完全なる科学的法則は存在せず、全体を構成する諸々の場が、その都度、その場ごとの必然性に応じて、物質とエネルギーの複雑精妙な相互変換を繰り返しながら、自ずから秩序化したり混沌化しているだけかもしれません。すなわち、森羅万象を形成する諸々の物質とエネルギーの相互変換によって、その場ごとに現象が生じているにすぎず、それが人間の目には秩序か混沌という具合に見えてしまい、その認識を固定化しているだけの可能性もあります。
 物質は、「色」、エネルギーは、「空」。一般的に、色即是空というと、「空」のことを幻影とか空虚とかの意味で説明されがちです。色は煩悩、空が空虚で、色即是空だと。つまり、物事は、いずれ消えてなくなるものだから執着するのは空しいという一種の文明批判として「色即是空」が使われますが、そういうムードが広がっていくと、何をやっても無駄というニヒリズムに陥ります。
 そうではなく、空をエネルギーの充満としてとらえれば、形あるものは消えてエネルギーに変わり、そのエネルギーがまた新たに形有るものを生みだすということになります。宇宙は、空と色、陰と陽の局面を絶えず交互に入れ替えながら連綿と続いてきて、これからも続いていく。
 生物活動に限らず、人間界の言語や都市やその他の創造活動もまた、神のような絶対的な力による無から有の創造および最後の審判による終末といった聖書的な段階を踏むのではなく、また科学的な分析に基づいた方程式どおりに作られるのでもなく、個々の相互作用に応じて形とエネルギーが転換し、波のように生成したり消滅したりしながら、その生滅の場それじたいが大きな川のように流れていく。

 西欧から輸出された人間の分析可能な“自然”という概念に対して、人間の分析対象にはならないけれど、だからといって創造主を設定する以外に認識不可能という類のものでもない“自然”の本質。
 自然は、常に不安定に揺らぎ、揺らぎによって変化し、その都度、「空」(エネルギー)と「色」(物質)のバランスで、目に見える形が変容し続けていく。
 こうした流動的な世界は、部分に意識を囚われると全体を見失い、全体に意識を捕われると、部分に生じている次なる展開の兆しを見失ってしまいます。
 科学を信じようが神を信じようが、部分のふるまいや全体の形や構造を決定する正しい一つのプログラムがあると考えるならば、それは同じ土俵のものであり、自分が脳のなかに固定している世界像を頑なに信じているだけです。
 部分のふるまいが全体の在り方に影響を与え、全体の在り方が変われば部分のふるまいも変わる。全体も部分も一定の状態にとどまることがないので、自分の脳の中に一つの確定的な世界像を固定して整理することはできない。
 現在、私たちは、巨大津波と原発問題という自然や科学に対する認識を修正せざるを得ない歴史的転換期に立っています
 これまでのように、万物の尺度を人間に置く傲慢な視点ではなく、といって、神という人間が作り上げた固定観念による狭隘な視点でもなく、現れたり消えたりしながら絶えず変転していく世界のなかで、それに即した柔軟な生命観をいかにして築き上げていくかが問われるようになるのでしょう。

風の旅人 編集長 佐伯剛