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【風の旅人ナイト・第3回】
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対談/佐伯剛(風の旅人編集長)×水越武(写真家)
2013年3月15日(金) 19:30〜21:30
会場:荻窪・六次元 書き起し/坂本謙一
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■佐伯
こんばんわ。風の旅人の編集者の佐伯と申します。
こちらは、十年前の創刊号の時から、最もたくさん写真を紹介させて頂いている水越さんです。
本日は、はるばる北海道からお越しいただきました。
■水越
こんばんわ。
こういう距離でこういう話をするというのは新鮮です。
いつも広いホールがあって、顔の表情なんて全く見えないところで話をするんです。
これまで無かったことなので、距離を取るのが難しいですね。
また次元の違った場所で、自然体でお話出来ればと思います。
よろしくお願いします。
■佐伯
まず最初にスライドショーから始めましょうか。
水越さんの写真は皆さんご存知だと思いますが、スライドショーを見てもらってから、色々お話を聞きたいと思います。
■水越
私は、始めてカメラを持ったのは二七歳でした。
二六歳で写真をやろうかな、と考えていて、二七歳でカメラを買いました。
だから全く、アマチュアの時代がありません。
それで、最初のテーマを決めて撮り始めたんですが、最初にシャッターを押すときには、何を撮るかという事は決まっていましたね。
それはまるで、絵本のようなものが頭の中にあるようでした。
(スライド切り替わる)
徹底的にひとつの山を撮ることによって、自然の怖さであったり、儚さ、優しさ、それを徹底的に撮ってやろうと思いました。
よく言われることなんですが、最初の写真を超えることは難しいと。それは写真の分野に限らず、他の分野の表現者の方々もよく言われます。
一つのことを打ち込んで、追求していって、それで発表する訳ですが、そのときには、もう出来ない、限界だ、そう思っていた時の写真です。
美しく、優しく、自分を抱きかかえてくれる自然よりも、野性的で荒々しい自然の方が性格的に好きだということもあって、冬の一番厳しい時期を選びました。
(スライド切り替わる)
ヒマラヤを次のテーマにしたのですが、これも、ひとつのエベレストやアンナプルナとか美しく撮るのではなくて、ヒマラヤの持っている自然の特徴とかを掴んでやろう、そういう気持ちで撮っています。
一緒に山を登っていた友人に「お前は何を撮りたいんだ」と言われたのですが、穂高の心というのでしょうかね。心というか神。そういうものをしっかりと掴みたいんだと。そういうことを一生懸命話したことを覚えています。
(スライド切り替わる)
山を撮るといっても、私が登りはじめた頃には主なところはほとんど登り尽くされていまして、これまでスポットが当てられていないところを撮ってやろう、そう思いまして氷河を中心にずっと歩いたりしていました。
(スライド切り替わる)
これは雷鳥ですね。
だんだん山に集中していた時に、友人も無くしますし、自分もどちらかに転んでたら命を落とすかな、そんな状況で撮られた写真です。
自然のスケールとか命であるとか、そのようなものが頭の中でぐるぐる回って、そのようなことばかり考えていました。
厳しい環境で生きている生き物というのは、命というのものにアプローチしやすいのではないのかな、と思います。
雷鳥なんかは、真冬に高度を下げていれば楽に生きられるのに、高い標高で必死になって頑張っている。
その姿に、自分のことを重ねて見ていました。
餌を取るのも大変なんですよね。
草なんかが出ていると根っこを足でほじって食べて、それでなんとか命を繋いでいる。
彼らは子育てをしている時、巣を木の上とか岩の影とかに作らないで、土の上につくります。
雛が孵る時、土の上ですぐに動き始めるのですが、この雷鳥もそうでした。
でも高山は風が強いですし、雨が降るとヒナの体温が奪われるものですから、親は雛を羽の下に入れて温めてあげるんですね。
(スライド切り替わる)
六〜七十年代から、段々と木が伐採されはじめまして、南アルプスなんかでも、山頂近くまで伐採されてしまいました。
そうすると山の肌が出てしまう。そこから山崩れなんかがするのを見ていると、社会的に厳しい状況に置かれているのは、原生林に住む生き物たちだろうと考えてしまいます。
もう、かれこれ十年近く森の撮影を続けていますね。
(スライド切り替わる)
■佐伯
これはどこですか?
■水越
これは西表の熱帯雨林です。
近頃は聞かれなくなったのですが、当時、社会のあちこちで「照葉樹」という言葉が話題を呼んだと思います。
照葉樹というのは、光も通さないで反射してしまうような厚い葉が多いものですから、互いに重ならないようにします。
お互いに譲り合って葉を茂らせたり、枝を伸ばしたりするんですね。
これは一度手が入ってしまったら、復元することは不可能です。
ブナというのは、ずっと南の鹿児島から北海道まで広くあって、尚且つ美しくて命を沢山支えています。
私は色々と見ている中で、ブナ林というものが一番、日本の森の特徴を持っているんじゃないかと思っています。
非常に繊細で、それぞれに特徴があり、美しい自然を我々に見せてくれている。
(スライド切り替わる)
実はこれ、箱根の函南地方なんですが、ある時、新聞に小さな記事が載ったんですね。
日本列島で一番広いブナ林が見つかった、そんな記事を偶然見まして、撮りに行きました。そしたら本当に獣道みたいなところを歩くような感じだったのですが、それが二十年くらいの間に姿を留めないようになってしまいました。
大勢の人が来て触ったり、周りも固めてしまいました。
(スライド切り替わる)
これは唐松ですね。
風が強くて、このように曲がってしまっている。
それが美しいんじゃないかと思って、撮った写真です。
(スライド切り替わる)
これは富士山ですね。
自分の写真はどの方向を目指しているかと言うと、「自分はこういう風に自然を見ているんだ」ということをハッキリと見せたい。
実はそのように考えています。富士山は決まった形がありますね。美しい富士山なんかをみんなが撮っています。
そうではなくて、自分の自然観、自分の見方で富士山を撮ってやろう、それにはどう撮ろうかと。
二、三年、果敢に挑戦しているんです。
(スライド切り替わる)
これは蛇ですね。
蛇って、みんな嫌うんですよね。
でもよく見てみると、宝石のような美しさを持っている。
これまで、あんまりこのような面から撮られたことはありませんでした。
その見本として持ってきた写真です。
(スライド切り替わる)
これは枯葉そっくりのバッタなんですよね。
これが目、これが口、そしてこれが尻尾
なんでこのような進化をしたのか...。
彼らは隠れるような姿をして、威嚇したり、あるいは毒を持って生存競争に勝ち残っていく。
そうしないと、滅んでしまうということでね。
(スライド切り替わる)
これはつい最近の仕事なんですが、熱帯雨林を撮っていて、たまたま天気がいいと、遠くに氷河を抱いた山が見えるんです。
昔から山が好きなので「行きたいなぁ」なんて思っていたんですが、ここで行ってしまうと熱帯雨林の仕事がまとまらないので、じっと抑えてるんです(笑)。
それで、熱帯雨林の仕事が一段落したとき、次の仕事を何とか山と結びつけてやろうと思ってね。
熱帯雨林の高山で五〜六千メートルはあるんですが、そこに氷河があるんです。それで次のテーマを氷河の後退地に決めました。
大体100年くらい前から、記録用として高山の写真が撮られているんです。
それを見ると、どれだけ氷河が後退したかということが分かるんですね。
見ていただくと分かるのですが、こういうところ(写真を示す)氷河によって削られているんです。
崖になって切り立っている所があると、昔、ここには氷河があったんだなぁと分かるんです。
これはケニア山なんですが、キリマンジャロもそうです。
だんだんと氷河が後退して行って、もう頂上近くにしか残っていません。
■佐伯
水越さんの家は、屈斜路湖の近くの林の中にあります。
度々訪ねているんですが、いつもそこで沢山の写真を見せて貰っています。
見て貰えば分かると思いますが、殆どがこのように厳しい自然の写真なんですね。
先程の話の中で、ご自身がどのように自然を見ているのか伝えたいと言われていました。
また、雷鳥でしたか、自分を重ね合わせているということも言われていましたね。
自分がそういう厳しさの中に生きているという実感が強いのですか?
■水越
自分の喜怒哀楽、悲しいとか悔しい思いとか。
作品を撮ることによって浄化する、開放するという思いが多分にあるんだと思います。
■佐伯
水越さんは温厚で静かな感じを受けますけれど、内面はとても厳しい。
それが写真に現われている?
■水越
そういうものを持ってテーマを決めて、写真でお返しをする。
そういうことなんでしょうかね、私にとっての表現というものは。
人によって、それぞれに違うと思います。
■佐伯
水越さんは写真は独学ですよね。
写真を始めたのも三十歳近くと若くはない。
比較的遅くスタートして、しかも独学で。
それまでは写真家ではなくて、映画や美術だとか、色々な事をされてきました。
そして写真を始めて、最初のテーマが穂高でしたね。
出発が遅かったということもあって、「誰もが普通に出来ることをやっていてもダメだ」という気持ちで取り組まれたことを以前お聞きしました。
あえて穂高の中でも命を落とす危険性がある厳しい岸壁を登ったり、果敢に挑戦されていましたよね。
■水越
言葉にするのは難しいのですが、自然の核になるようなもの。そういうものがしっかりと掴めた作品。
それが私にとっては自然写真の理想なんですよね。
それを掴むことが出来たら、自分は死んでもいい。そういう気持ちだったのです。
■佐伯
山を撮っている写真家は大勢います。
有名な方の写真展で写真を見ると、山が格好良く綺麗で「おお!」と思うんですが、何枚も見ていると飽きてしまうことがあります。
なぜ飽きてしまうかと言うと、山を格好良く撮ってはいるんだけれど、山と撮り手の距離があまり変化していない。
山と自分の距離を決めてしまっているので、変化がないんですね。だからすぐに飽きてしまう。
水越さんの写真は、ミクロもマクロもある。対象との距離が変化します。
山を撮っていたかと思うと、足元の小さな何かを捉えていたりする。
それはいつも心がけているんですか?
■水越
それは心がけてはいますね。
ワンパターンにならないように豊かな写真を撮りたいと思っています。
小さいものだけだと、ちまちましてしまって、何となく満足できない。
では、スケールの大きな写真を沢山出していけば、スケールの大きい写真世界になるのかというと、そういうものではありません。
色々な写真を加えることで世界は広がっていく。
■佐伯
山を撮る写真家でも色々な方がいて、山の外に自分を立たせて綺麗な山を撮る写真家がいますね。
また、山岳写真家として、登山隊と一緒に山に入って撮る写真家もいます。
水越さんは基本的に山の中に入っていきます。
ヒマラヤ、穂高にしてもそうですけれども、足を使って、自分が自然の中に入り込んで行きます。
そして、山だけを視界に入れるのではなく、足元だとかも注意深く見られています。
だから恵比寿の写真美術館の展覧会の時も、非常に面白い内容でした。
先程の写真家の例で言うと、ひとつの壁面が終わると飽きてしまって、後は同じものばかりだなという印象でしたが、水越さんの写真は、次の壁面、次の壁面、局面が変わっていくので飽きないんですね。
だから僕は、水越さんの写真を組写真でページを組みます。
綺麗な山の写真を見せるのであれば、一、二枚を見せればいい。けれども、二十頁もそれが続くと見るに耐えなくなる。
水越さんの写真を多く使わさせて頂くのは、組写真で二十頁組んでも決して単調にならず、奥行が出てくるからです。
先程、ワンパターンにならないように意識されていると仰っていましたね。
それは若い頃から意識されていたんでしょうか?
■水越
うーん、どうなんでしょうか。
こういうものを表現したいんだ、という時に、自分がやりたいことの資料を集めて下準備をするんですが、最近は時間もあまりありません。
写真というものは、もの凄く大量に仕事をしていかないと生計が成り立たないんです。
だから、色んなものを撮りながら、後から構築するなんてことは出来ません。そういう仕事のやり方は私には出来ないんです。
殆どが「こういう写真を撮るんだ」という風に吟味して取り組んでいるんです。
最近は、写真を撮り始める前に企画書みたいなものを書きまして、それに沿って、ひとつのテーマを撮影しています。
例えば100年前、山に写真が持ち込まれた頃だったら、単なる山の写真でも感動させることは出来たと思うんです。
けれども、僕が写真を始めた時にはそのような事はありませんでしたから。
その中で自分の写真を、ということを考えて行くと、自分のスタイル、イメージををきちんと決めて取り組まなければなりませんでした。
■佐伯
水越さんを見ているとゆったりしているので、それほどあくせく働いているようには見えません。
それでも、結構な量の仕事をされているんですね?(笑)
■水越
まぁ若い頃は、年を取ったら撮るものが無くなってしまう、撮りたいテーマも無くなってしまうんじゃないか、と思っていましたから。
それが年も取り、自然に向き合っていると、こんな風に捉えると非常に面白い、自然のこんな面が全く撮られていない、というものが沢山出てくるんです。
例えば今、撮っているものの一つに潮間帯というものがあります。
非常に面白いんですが、意外に撮られていない。
岩礁があって、そこで波が白く砕けるシーンは迫力があるので、そのような場面を撮った写真は数多くあります。
けれども、そうではなくて、もっと近づいていって潮間帯に生きている小さな生き物、貝でもカニでも海藻でも、そういうものが実に面白い。
日本列島の南に行けば珊瑚礁も美しいし、北の方に行くと海藻が美しい。そのような自然をまとめたら面白いんじゃないか、と思うのですが、誰も撮っていません。
また、高山植物の図鑑の写真というのはありませんね。
日本の高山は六月くらいまでは雪が残っていて、十月になれば新雪が降ります。
その短い二、三ヶ月の間に、芽吹き、花を咲かせ、実を結ぶ。
なんとか次の世代に継がせなくちゃいけないと、彼らは必死に生きているんです。
残雪はあるんですが、太陽の光が地上に降り注ぐと大地が温められ、氷を割って彼らが芽を出す。非常に感動的なんですね。
そのような見方をしていくと、本当に面白い。
■佐伯
水越さんはずっと自然を対象に写真を撮っていますけれども、その都度、テーマがありますよね。
テーマと言っても、頭でっかちなものではなくて、どういう風に自然を見るか、というテーマを具体的に設定します。
しかもそれが、大きなテーマへとなっていく。
以前のテーマは森林限界でした。
それは、植物が生存できるギリギリの所。端っこがどういう生態になっているのか、ということですよね。
■水越
日本アルプスで言うと、二千五百メートル位のところです。
そこでは生物が生きていけなくて植物が途絶えてしまいます。
また、極地や砂漠。そのような所の森林限界。
砂漠の水のあるところだとか、そこはどうなっているんだろうと。
私は非常に好奇心が強くて、それが写真を撮るエネルギーになっているんだと思いますね。
■佐伯
好奇心だけではなくて、非常に大きな構想を考えていらっしゃいますよね。
その構想に基づいて、山でも砂漠でも色々なところを撮りに行かれてます。
山や砂漠や氷河というものは、一見してバラバラに見えるのですが、実は森林限界という大きな構想で繋がっている。
ひとつのプロジェクトで十年くらいでしょうか。
■水越
そうですね。
ただ、同時に他のプロジェクトもある程度重なりながら進めています。
■佐伯
気分で動くのではなく、事前に下調べをしてから撮りに行かれていますね。
■水越
写真をやる前は映画をやっていたんです。
映画というのは、シナリオが無いと動けませんし、何十人もの人を動かすにはコンテを覚えてもらわないといけません。
その、映画で使われているシステムを、写真にも取り入れています。
■佐伯
映画には、どのように関わっていたんですか?
■水越
ドキュメンタリーの助監督です。
京都にあるプロダクションで、テレビの仕事に駆り出されていたりしました。
■佐伯
それでは、割と大きなストーリーというのは、その頃からあったんですね。
■水越
そうですね。
そこで学んだのだと思います。
■佐伯
写真というのは単体。一枚の中に全てを凝縮しているという言い方もあるんですが、水越さんは組写真と言うか、総合で捉えていますね。
■水越
一冊の写真集、写真展という考え方ですね。
写真は一瞬が大事だ、ということがよく言われます。
それはもちろん大事なのですが、写真には、我々が持っているイメージを定着させる、そんな力があるのだと思います。
イメージを象徴的に定着させる。ちょっと分かりにくいですが。
■佐伯
水越さんの仕事の仕方で象徴的だと思ったのが、流氷を撮りに行った時です。
水越さんは、普段は非常にゆったりとしているのですが、速さが求められるところではもの凄く速い。
その日は天気がよくて、流氷に落ちる夕日が綺麗だろうから見に行きましょう、という話になりました。
四時くらいで僕はそわそわしだしたんですが、水越さんはゆっくりコーヒーを飲んでいて、全然気にしないんですよ。
夕陽がだんだんと落ちてきて、水越さん大丈夫かな、忘れているんじゃないかな、なんて思っていたら、「そろそろ行きましょうか」となった。
撮影ポイントはすぐ近くかなと思っていたら、車で三十分くらいかかるんですよね(笑)
到着したら、夕陽がほとんど沈みかけているじゃないですか。
そこには氷の立派なアーチがあって、大勢のアマチュアのカメラマンが、三脚を立ててカメラを構えているんです。
早くから場所取りをして、氷のアーチの向こうに沈む夕陽のカットを撮ろうと全員が狙っている。
僕と水越さんが車から降りて流氷のところまで歩いて行った時、水越さんは、「あ、一脚を忘れました」とか言って車まで戻ってしまった。
そうこうしているうちに、夕陽が沈んでしまいました。
それを見届けて、三脚を立てていた人は全員帰ってしまいました。
車から戻ってきた水越さんは、周りの様子を気にする様子もなく、一脚を持って流氷の中にズカズカと入って行くんです。
そして。一枚二枚シャッターを押したら次に移動してという風に、氷の上を軽快に動き回っていました。
流氷の上というのは平じゃなくて、結構歩きづらいんですよ。割れ目があったりしてね。でも水越さんは、地面の上にいる時と変わらない動きをしている。
水越さんが戻ってきたので尋ねてみると、太陽が沈んだ後、空が染まって、その照り返しで氷が微妙に彩られて美しくなるので、それを撮っていたという話でした。
氷のアーチのところで三脚を構えていたカメラマン達は、場所取りまでして何時間も粘って、けっきょくみんな同じようなカットを撮って帰っていったわけです。
水越さんだけが、他人とはまるで異なる視点で、自然の美しさに向き合っている。
■水越
あの時は、忘れ物をしたりして、失敗しましたよね(笑)
失敗すると、新しい何かを見つけようとするんです。失敗は新しいものを見つけるきっかけになる、という解釈をしてしています。
それと、太陽が沈む瞬間なんて、もう沢山撮っているんですよ。
だから、同じように三脚を据えて写真を撮るのではなくて、それ以外のところで写真を作っていきたい、自然の表情を捉えたい、そういう気持ちがあるんですよね。
だから、失敗をしたら「これはダメだ」と思うのではなくて、新しい表情を見つけ出すきっかけにするんだと。
■佐伯
水越さんとの間にこういう事もありました。
網走の海でサンゴソウが真っ赤に染まって綺麗だから行こうという話になりました。
十月くらいでしたね、僕がたまたま屈斜路湖に居たので、そういう話になったんです。
屈斜路湖から網走までは、車で相当な距離を走らなければならない。
途中、知床半島とかに寄っていくので、水越さんは、この辺に熊が鮭を取りに来ているかもしれないから見ていこうとか、寄り道ばっかりするんですよ。
だんだんと太陽も沈んできて、「大丈夫なのかな」と少し心配になってくるんですが、水越さんは制限速度四十キロの道を、四十キロで走り続けるんです。非常にゆっくり、ゆっくり運転していて、目的地に到着したら案の定真っ暗で、サンゴソウは見えない。
「仕方ないなあ」て思っていたら、水越さん、急に車のライトを海に照らして「どうです?これで見られますか?」なんて聞くんです。何かがそこにあることはわかるけれど、話に聞いていた、真っ赤なサンゴソウではない(笑)
水越さんって、本当にゆっくりしているんです。焦らないんですね。
しかし別の時に、屈斜路湖畔の草が凍り付いている場所があるから行きましょう、すぐ近くですから、というので付いて行きました。でも、実際はかなり歩くんですよ。膝ぐらいまで雪に埋まってしまう道を通ってね。
私はヨロヨロしながら歩いているんですが、水越さんはもの凄く早いんです。さくさく、さくさく。凄いスピードで歩いていく。ようやく到着したと思ったら、草は凍りついていない。「凍っていないですねえ、帰りましょう」と言われて、また来た道を戻りました。
■水越
サンゴソウは、そういう時間帯を狙って行ってみたんですよ。
ちょっとズレたところにシャッターチャンスがあります。。
同じようなものの見方だと、同じような写真しか撮れませんからね。
■佐伯
いや、あの時は真っ暗で何も見えなかったですよ(笑)
失敗だったんじゃないですか?
いずれにしろ、水越さんのリズムとか間合いとか速度は、普通の人とかなり違うことは確かです。でもそれが強みですね。
普通の感覚で「上手くいった」「良かった」と思うようなものは、もうすでに誰かが行なっていて、ステレオタイプになっているケースが多いですからね。
僕なんかは、水越さんと一緒にいると、つくづくステレオタイプの人間だな、と思い知らされます。
自分の感覚で物事を見ているつもりで、実はそうではなくて、知らず知らず、世の中の価値観やメディアの情報等の影響を受けてしまっています。
自分にはない視点で作られたものによって感動させられる時、自分の見方の偏りに気づかされます。
水越さんと行動を共にしていると、 自分が如何にステレオタイプで、深い雪の中をサクサクと軽快に歩けない、ひ弱な状況で生きているのか、ということを痛感します。
■佐伯
水越さんは、今年で七三歳ですね。
それでも、今でも七千メートル級の山に登られますよね。
■水越
どうでしょうかね(笑)
■佐伯
トレーニングはしているんですか?
■水越
それはやっています。
現役を続けていれば出来ると思うんです。
一度止めてしまえば、もう二度と出来なくなる。
そういう風に自分では思っています。
■佐伯
今はデジタルカメラを使う写真家が多いですが、水越さんはフィルムに徹しています。
■水越
フィルムでずっとやってきた蓄積が僕の中にあるんですよね。
露出を半分にすればどのように写るのかとか、経験として分かっていることが多い。
今までやってきたことを、今更バタバタと変えたくはない。
これは僕の美意識なんでしょうかね。徹底的にやってやろう、そんな執着心が僕の中にあります。
それともう一つは、きちんと写真を撮らない人が最近多いんですね。
僕は、データにもよりますが、ピンをどこに持ってくるか、ピンをどれだけ絞るか、そういうものを全部計算して求めることが出来ます。
それは今までの経験の蓄積があるからです。それを放棄したくはないと。
そんな訳で、最後までフィルムを使うと思います。
フィルムがどんどん廃れてくると、今の若い写真雑誌の編集者なんかは、フィルムの存在を知らない人がいて、写真家のフィルムを捨ててしまうという事故があるんです。
私にも一回、経験があります。
■佐伯
デジタルであれば、撮った後に、色々と修正していくことが出来ますね。
フィルムは、撮る前の段階で、絞り、シャッター速度、ピン、そういったものは全て確定している。 やり直しは一切効かない。その緊張感があります。
■水越
今の段階では、フィルムがいいか、デジタルがいいか、という議論は成り立ちません。
私は、どっちでもいいんじゃないか、という考えです。
最終的に何を写真の中に込めて撮っていくか、それが一番大事なことであってね。
これはデジタルだから駄目だとか、これはフィルムだからいいんだ、とか。
その逆もあるけれども、そういうものは無いんだと思いますね。
■佐伯
一般論としてのフィルムだとかデジタルだとかいうのは、僕はどうでもいいんです。
でも、水越さんに関して言うならば、水越さんの写真の命は、あの緊迫感なんですよね。
他に取り替えのきかない緊迫感。それが漲っているから、水越さんの自然写真は美しい。
■水越
デジタルの良さというものを、自分では理解していて、便利だなとは思うんです。
けれども、写真をどうするか、というのは、自分がどう生きていくかということの流れでもあるわけですよね。
新しいものが出てきたら、すぐに飛びつく、ということを自分の中で許せない気持ちがあって、とても嫌なんですよ。
これは自分の美意識の問題なのでどうしようもない。そういうものだと思います。
■佐伯 水越さんは、最初、穂高やヒマラヤなど山の写真を撮っていました。それが突然、熱帯雨林を撮り始めました。何か転機があったのでしょうか。
■水越
う〜ん、かなり勝手な生き方をしてきたので、そろそろ社会的に何かをしなくちゃいけないな、とは思っていたんですよね。
周りに熱帯雨林を撮ったらどうか、と勧めていたんですが、だれもやろうとしない。
熱帯雨林というのは、最初から取り掛かるのは難しいんですよ。それで誰もやらない。
当時は日本が一番、熱帯雨林で伐採していましたしね。そういうのがありました。それと環境問題。
我々は四六時中、自然の中で考えています、自然のスペシャリストであるという意識が僕の中にはあるんです。
それで、これからどういう形で自然を見てかなくちゃいけないか、それを常に考えるんですよね。
そのひとつの形を作品として表現していきたい、こういう風に自然を見ていかなきゃいけなんじゃないか、それを出したい、という意識があったんです。
それは社会の為、というよりも、人間として、ですね。
■佐伯
周りの人に熱帯雨林を撮ったらどうか、と勧めていたけれども、誰もやらなかった。
熱帯雨林を誰もが簡単に撮れないのは何か理由があったのですか?
■水越
今まで、熱帯の珍しい動物とか、蝶蝶とか、そういうものを捉えている写真しかなかったんです。
でも、熱帯雨林の主人公は植物である、という考えを私はずっと持っていました。
そういう写真は、世界を見渡しても無かったんですよ。
グリーンピースの人が、大変面白いと言ってくれました。
展覧会やら、色んな面でバックアップしてくれましたね。
■佐伯
印象に残っている水越さんの写真に、ボルネオで撮られたイノシシの写真があります。
イノシシって、眼が小さいんです。しかもかなり遠くから撮っているのに、その目にピンが合っている。 そして、その眼がギョロッと光っている。
どうしてこういう写真が撮れるんだ、と聞いた時に、動物の動きを知っていないと撮れない、と言いましたね。
動物はもちろん動く。そして動いていたと思ったら止まるんだけれど、その「止まる」時に完全な静止状態になる瞬間がある。 そのタイミングに合わせているのだと。
■水越
ある程度、習性や癖のようなものを計算して、先回りして撮っています。
■佐伯
行き当たりばったりで、「行けば何とかなるだろう」という考えでは、収穫はゼロですね。とくに熱帯雨林のように暗くて、迷路のような場所は。
■水越
ここにひとつの写真があります。
これには、どこで撮ったのか、いつ撮ったのか、データがちゃんと揃えてある。
何年か後、この光景が無くなってしまった時に、「二〇〇五年には、この高山にこれだけの氷河があったんだ」と後世の人が関心を持ってくれるのではないかな、と。
それには、きちんと撮っておく必要があります。
■佐伯
関心を持ってもらうためには、そこに美というか、感動が無いとですよね。
■水越
美というか、真実。「真善美」ですかね。
やはり、何が真実か、ということを証明しなくてはいけなくて、僕にとっては真実が美です。
■佐伯
スマホの写真を含めて、今は誰でも写真が撮れるじゃないですか。そういう映像情報が氾濫しているので、「記録の重み」がいま、軽くなっているんじゃないかと思うんです。
だから、プロの写真家は、「記録というのはそういう事じゃないんだ」ということを仕事を通して見せていくことが重要になってくる。
■水越
写真家として現場に行っているんだ。記録をしているんだ。合成とか誤魔化しはやらない人だ。ということを、分かってもらえるような生き方をしなくてはいけないと僕は思うんです。
写真は、写真家の人生と非常に結びついてくるんだ、と思うんですね。
■(司会)
それでは、質問を受け付けたいと思います。
■(男性)
水越さんは、写真と出会う前から映画をお撮りになっていたり、色々なことをされていました。
なぜ、写真家になったのでしょうか
■水越
一つには、映画では「自分がこう思っているんだ」ということを実現するのが難しかった、というのがあります。
それから、田渕行男の写真集『高山蝶』を見たのが大きかったと思います。
その当時、自分が心の底から一生懸命になる対象を探して、ずっと考えていました。その時が一番、本をたくさん読んだ時じゃないかと思います。
そんな時、田渕さんの写真集を見て、「この仕事なら、僕にも手が届くんじゃないか」と考えました。 それは『高山蝶』のレベルに手が届くと思ったわけではなくて、田渕さんが写真を通して実践している生き方に惹かれ、そこに自分の求めるものがあるのではと思ったんです。
それまで、写真には全く興味がありませんでした。カメラも持っていなかったんです。
それが突然、これで生きていこう、となったんですが、何を買っていいかも分からず、当時はLIFEという有名な写真雑誌がありましたから、それを見たりしていましたね。そして田渕先生に弟子入りしたんですが、田淵さんは技術に関しては無頓着でしたね。 私への指導が無頓着なんじゃなくて、田淵先生自身が、カメラの技術的なことに関して、研究をほとんどしていませんでした。
■佐伯
田渕さんは、写真を撮るだけでなく、絵も描かれていましたね。
蝶や生き物、それらを実に精巧に描いていますす。
それは鬼気迫るような緻密さです。田渕行男という人の、自然に対する観察眼が、とてもよくわかる。
そのように自然に向かい合っていることが、写真にも表れています。
残念ながら、田渕行男という写真家の事を知っている方は少ないかと思いますが、凄い写真家です。
先程「技術に関して無頓着」という話で、写真が下手ではないかと思った人がいるかもしれないけれど、上手い下手の問題ではないですね。。
自然に対する迫り方。他の人とは迫力が違う。だから写真が心に迫ってくる。
■水越
そうですね。
田渕先生には、自然への触れ方を学びましたね。
■(女性)
写真家として、自分の写真、他の人の写真をどう見ているか、どこを見ているか、それをお聞きしたいと思います。
■水越
僕は、写真を見て「こちら側の人」か「あちら側の人」か、直感的に判断できる自信があるんです。 それは「真・善・美」です。
そういうものを撮ろうとしているのか、関係のない写真を撮っているのか、それで「こちら側の人」か「あちら側の人」かが分かります。
要は「真・善・美」というものを撮ろうとしているかどうかです。
それで「こちら側」の人であれば、それぞれに個性があるので、こういう写真じゃなくてはいけない、ということはありません。
■(男性)
水越さんが生物を撮るとき、彼らが生活している場の中に入って行きますが、その時に配慮されていることはあるんでしょうか。
■水越
彼らの生活圏内に入って行きますね。
そして、彼らの平和な暮らし、環境を、場に踏み込むことによって汚したり、彼らに恐怖を与えたりします。
初めて生き物を撮ったのは雷鳥です。その時にも写真集に書いたのですが、彼らに負荷を掛けてしまうのは、生き物を撮るときにはどうしようもない。それを踏まえて彼らと向き合っていかなくてはいけない。
出来るだけ負荷をかけないようにする、そういう生き方をする、ということを考えるようにしています。
■(司会)
それでは、本日はありがとうございました!
(パチパチパチ)
ここではJimdoの説明と簡単な利用方法をご覧になれます。