<東京>日時:2025年2月23日(日)、2月24日(月) 午後12時半〜午後6時
場所:かぜたび舎(東京) 東京都日野市高幡不動(最寄駅:京王線 高幡不動駅
<京都>日時:2025年3月29日(土)、3月30日(日) 午後12時半〜午後6時
場所:かぜたび舎(京都) 京都市西京区嵐山森ノ前町(最寄駅:阪急 松尾大社駅)
*両日とも、10名限定。(1日で完結)。京都、東京とも、資料代として、おひとり様2,000円をいただきます。
彼岸に目を向けることなく、すべてを、神に関することも、死も、すべてこの地上のこととして考え、すべてをこの地上の生のうちに見ること。
すべてのものを、神秘的なものも、死も、すべて生のうちに見ること。
ライナー・マリア・リルケ
(左写真)
「かんながらの道〜日本人の心の成り立ち〜日本の古層Vol.5」
2024年10月26日発売。
地震や台風などの自然災害が多い島国に生きる日本人は、自然に対する謙虚な姿勢を軸として、長い歴史を通じて文化を育んできましたが、今こそ、その文化を根底から見つめ直す時だという思いで、私は、この8年間、ひたすら日本の古層世界に潜り込んできました。
万葉仮名で、「かみ」は迦微と表記され、迦は「巡り合う」、微は「かすか」という意味となり、日本人の「かみ」への祈りは、自然界の営みの背後に密かに隠れている何事かに対する「畏れ多さ」を元にした、心の在り方だったと思われます。
現代文明の中で生きる私たちもまた、自然に対する畏敬の念を完全に失っていない筈で、そこに私たちの心の普遍性があり、その心の働きを見つめ直すことが、日本人とは何か、人間とは何かという問いに向き合ううえで、鍵になってくると思われます。
私は、その表現のために写真と言葉を織り込んでいくことを心がけていますが、とりわけ写真に関しては、0.2mmの針穴写真を用いています。長時間露光のあいだ、じっと待ち続けて撮影を行いますが、祈りとは、ひたすら念じるように待つことだと様々な困難を経て強く思うようになりましたが、写真行為もまた同じ。焦って救いや答えを求めても、それらは遠ざかるばかり。
待てないのは、自己を中心に世界のことを考えているからで、世界は、自分の都合に合わせて動いてくれない。待つことの大切さを身をもって知ることが、世界の摂理に対して、静かに注意深くなれる道なのかもしれません。
ひたすら待つようにして、自然のなかに還っていく人間の営みの痕跡と向かい合う時、ふと、森羅万象の摂理と人類の歴史の摂理が重なって見える時があり、自分もまた、その摂理の一部だと、それとなく実感できる瞬間があります。
それを実感できたところで、自分の生き方が大きく変わることはないかもしれませんが、死に対する心構えは、少しは異なってくるように思われます。
温故知新というのは、故きを温めて、今を生きるための新たな道理を導き出すことです。東京と京都で毎月交互に行っているワークショップセミナーにおいても、そのことを強く意識したうえで、行いたいと思っています。