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(創刊号) 森羅万象と人間/天空の下
大いなる自然はただ存在する。
ひたすら静謐で、かぎりなく威厳に満ち、人間の思い入れや共感とは無関係に、ただ美しく。
我が身の絶対の現実が露になる。
永遠から永遠へと吹き過ぎる風のようなおのれに気づかされる。
その真実を、当たり前のことのように受け入れる我が身の中のおのれを知る。
(第2号) 森羅万象と人間/水の惑星
地球を形成する数々の元素を生みだした宇宙の誕生は、150億年という想像もつかない時の彼方である。そして46億年前、宇宙ガスが渦巻く太陽系の中に、原始地球が誕生し、隕石の衝突によって爆発を繰り返した。約38億年前、マグマに覆われた地球の地表に、熱湯のような雨が滝のように降り注ぎ、燃えさかる大地を急速に冷やしていった。
降り注いだ雨は、再び天に昇り、新たな雨となった。
<スライドショー>
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<特集内容>
第5~第8号 第9~12号 第13~第16号 第17~第20号 第21~第24号 第25~第28号 第29~第30号 第31~第32号 第33~第34号 第35~第36号 第37~第38号 第39~第40号 第41~第42号 第43号 第44号
(第3号) 森羅万象と人間/森の記憶
私たち人間は、巨木に対して畏怖を感じる。
樹木は、人間が人間として生き始める遥か十数億年も昔から、地球環境に適応する術を編み出して生き続けてきた。人間は生きるために樹木を必要とするが、樹木は人間を必要としない。
人間の身体を構成する60兆の細胞は、人間をつくる以前から樹木の細胞と長い付き合いがある。
(第4号) 森羅万象と人間/石の永遠
私たちは、地球という巨大な石の上で暮らす。
岩石は、生き物が誕生する以前から自然そのものである。
地上の生物が、生死のドラマを無数に繰り返す何億年もの間、一個の岩石は、風化に晒されながら静かに永遠の時を刻んでいる。
果て知らぬ過去から目眩く未来へ超然と存在し続けている。
(第5号) 森羅万象と人間
都市という新しい自然
人間が試みる反自然の空しい努力の継続が都市という新しい自然をつくり出す。この世に生まれ、食べて寝て、子供を育てて死ぬだけの野生の本能だけで、人間は満たされることはない。人間には“すぐれて人間的な何か”の意味を見いだしつくり出そうとする狂おしい夢がある。
その夢が都市に美しく開花するからこそ、人間は都市に魅了される。
第6号 森羅万象と人間/生命の星
はじめに… 星があった。光があった。空があり、深い闇があった。終わりなきものがあった。水、そして、岩があり、見えないもの、大気があった。雲の下に、緑の樹があった。樹の下に、息するものらがいた。息するものらは、心をもち、生きるものは死ぬことを知った。一滴の涙から、ことばがそだった。こうして、われわれの物語がそだった。土とともに。微生物とともに。人間とは何だろうかという問いとともに。沈黙があった。宇宙のすみっこに。 長田弘 詩集「黙されたことば」みすず書房刊より
第7号 森羅万象と人間/母なる大地
生命の根元の力は、大地の深いところにある。海の底の深い闇がある。150億光年彼方の宇宙の果てにある。〈私〉が〈私〉になる以前のところにある。秩序(かたち)が創出される以前のところにある。そこは、遠いようで近いようで、はじまりと終わりがつながっている。死と生がつながり、起源と未来がつながっている。ありとあらゆるものが共通に存在し、生命のエネルギーが生き生きと流れている。
第8号 森羅万象と人間/生物の領域
生物(いきもの)として生きることは いつか死ぬことである。 定められた時間のなかを、変化していくことである 経験を積み重ねて 物事の理(ことわり)に近づいていくことである 生きているものらは 周りの気配に反応する繊細なメカニズムを持ち なるべくしてなる方向を模索するように 息を吸ったり吐いたりしながら 右や左に動いたり じっと立ち止まったりしている 古代も現代も、おそらく未来も 地球上の生物(いきもの)というのは 死んでも何かとつながっているが 生きていても、何かと隔たっている 生きて完全になることは 永久にない